61歳の夏から

61歳になった。日記を書いてみよ。

これまでについて37前立腺がん親族

父親は運良く転移は無かった。治療は、ホルモン療法と放射線療法の組合せとなった。13年前は、SBRTなどはなく、放射線も2つの機械を組み合わせて、概ねピンポイントで照射するというものであった。T川共済病院はそれでも当時進んでいた方とのことであった。約40回通って放射線療法を受けたと聞いている。

これまでについて35前立腺がん親族

それから、前立腺がんについでネットで調べた。今から13年前でも、色々体験談が掲載されていて、すごく参考になった。その時色々調べたことが、今回自分がなった時の基礎知識となり、それなりの対応ができたのだと思う。13年前は、放射線療法のピンポイント照射をやっている病院は少なく、京都の大学病院が最先端で、遠方から何十回も通って完治した人のブログなどを覚えている。

これまでについて34前立腺がん親族

会社が休みの土曜日、父親と生検検査の結果を聞きに行った。しっかりありますね。との医者の言葉。ああ、ありますか。と父の言葉。要するに前立腺がんが確定したわけだが、淡々としたものだった。ただ、がんの顔は悪くない、と言われたのを覚えている。多分グリーソンスコアの事だったろうと思うが詳細は覚えていない。医者が、頑張りましょう、と励ましてくれたのを覚えている。

これまでについて33前立腺がん親族

父親が生検検査を受けたとき、腸を突き破って針10数本刺して組織を採ったと言うのを記憶している。ただ、半身麻酔で全く痛くはなかったと言っていた。数日入院していた。結果を一緒に聞いてほしいと言われ、一緒に行くことになった。

これまでについて32前立腺がん親族

13年前父親が、暗い顔していたのを覚えている。夜間頻尿がひどく、かかりつけ医に行ったところすぐに紹介状を地元の専門医に出してもらい、検査したところ、PSAが160だったとのこと。その時はそれを聞いてなんのことか分からなかったったが、今思えば驚きの数値である。なにしろ自分は4.7で見つかったわけで。その時父親は77歳だったが、今も健在である。